北陸旅行  
(2004年6月8日・9日・10日)

糸魚川にある「谷村美術館」↑に行きたいとの希望を出して、岡山の友人に連れて行って貰いました。

(1) 渡岸寺の十一面観音像

何時ものように、米原で落ち合いました。(友人は岡山から車で、私は東京から新幹線で)

米原と云えば、渡岸寺の十一面観音像へ御挨拶。

じつは渡岸寺というのは地名で高月町大字渡岸寺にある「向源寺」の観音堂です。
向源寺は真宗なので、本堂には「阿弥陀如来」しか安置できません。そこで、
境内に慈雲閣(収納庫)を建て、高月町国宝維持保存協賛会の理事が
毎日交代で維持管理に当っているそうです。

始めはお当番の信徒の方の説明したが、そのうち御住職が出てきていろいろ詳しく説明されました。
一般には渡岸寺の観音堂と呼ばれ、天平時代、泰澄によって開かれたと伝えられています。
本尊の十一面観世音菩薩立像は明治三十年に国宝に指定されました。
この仏像は頂上面が菩薩相で、牙上出相と瞋怒相の各一面が左右の耳の後方に配されるなど
頭上面の配置に特色があります。
またどの面も本体と同じように大きな髻をつくりそれぞれ化仏をつけています。
とくに頂の菩薩面に二段に五つの化仏をつけていて他に類例を見ないといわれています。
この仏像は平安初期の作といわれ、その優れた美しさは文化財的価値のみでなく、
多くの文学作品にも取り上げられています。

  元亀元年(1570年6月)姉川の合戦の際、寺院は
焼失しましたが、この十一面観音像だけは土中
に埋められて難を逃れたと言います。
渡岸寺観音堂は向源寺所属となっているものの
無住の寺であり、渡岸寺十一面観音は近隣の
集落の人たちによって護られてきているそうです。

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門前近くにあった虎石ですが説明がないので由来は判りません。

 
右の立て看板には 野神さん(御神木) と 町名の由来 が書いてありました。

湖北の各村には野神さんと呼ばれる祭事があります。土地を守る神の宿るところとして
村の出入り口など要となる場所に生い茂る大木に注連縄を張り、野の神を祭る伝とY行事です。

高月町には「槻の木十選」があり、槻はけやきの古名で、
はじめ「高槻」と名付けられ、後に槻を月に改め「高月町」になったそうです。

門前近くの「渡岸寺庵」で鮎料理を食べる予定でした。渡岸寺へは何回も来ましたが、
いつも ここで昼食をとりました。今回もそのつもりでしたが、閉店していました。

しかたが無いので、食事処を探しながら出発。途中に有った和食処で食べることに。
うなぎがお薦めと云うので「うな重」に。うなぎ自体は良いようでしたが、
味の濃いこと、おまけに黒焦げ。散々でした。

その後北上して福井県宮崎村の越前陶芸村へ

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