横浜で
ルーブル美術館展と三渓園へ (2)
2005年6月21日

三 渓 園

美術愛好家としても有名な、実業家(生糸貿易)
原三渓(富太郎)によって本牧に造られたました。
17.5万uの日本庭園は、四季折々の自然の
景観のなか、歴史的建造物が巧みに配されています。

緑に囲まれた豊かな自然と、
重文を含む歴史的建造物が並ぶ、横浜きっての名園。
明治39(1906)年に公開されて以来、
多くの人に愛されてきました。 
岡倉天心や横山大観がこの地から育っていき、
近代日本画の「ふるさと」と言ってよいエリアだそうです。

丁度花菖蒲がさかりでした。
明治39年の三溪園開園にあたっては、
96種10万株のはなしょうぶが植えられました。
現在は、昭和34年に明治神宮から移植したもの
および最近移植したものを含め、
約30種500株があるそうですす。

  
大池の向こうに「旧燈明寺三重塔」が見えます。

  
      赤い「親心橋」                   御門(京都東山にあった薬医門)

臨 春 閣

大正四年に三渓園に移築されました。
 それまでは慶安二年(一六四九)造営の紀州徳川家の別邸・巌出御殿(いわでごてん)であろうと考えられています

  


臨春閣から眺めた屋根の有る橋

  
    瓢箪文手水鉢                     二階へ登る階段の入り口。

 ← 千利休が刺殺に襲われたとき、
    体をかわしたので流れた刃が当った
     「身代わり灯篭」

    ↓  三渓が隠居所として建てた数奇屋風建築の
        「白 雲 邸」の縁側から眺めた三重塔  
   

 持仏堂として使用していた 鎌倉建長寺付近の心平寺跡にあった禅宗様の 「天 授 院」 左と、
徳川家康時代の京都伏見城内にあった大名伺候の際の建物であった 「月 華 殿」 右。
  

↓ 京都二条城にあった徳川家光・春日局ゆかりの 
   楼閣建築である 「
聴 秋 閣」

  豊臣秀吉が、京都・大徳寺内に母の長寿を祝って
  建てた寿塔である 「旧天瑞寺
寿塔覆堂」 → 

  欄間や扉の彫り物がみごとです。
    

ボランティアのガイドが付いてくれましたが、声が小さく説明の仕方もパットしません。
 自分流に観て歩くことにしました。

それにしてもスケールが大きいのに驚きます。これらは生糸貿易から生じた莫大な富で賄われたそうで、
数多くの貴重な古建築を移築していますが、そのうちの10棟が国の重要文化財に指定されています。
明治の末にはこのような古建築がお金さえ有れば個人の手に入ったのですね。

三渓記念館では庭を眺めながらお抹茶を楽しめます。

次は「横浜開港資料館」見学です。

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