2008年 雑司が谷鬼子母神 お会式 (2008/10)
今年もお会式の季節になりました。
昔の伝説により、鬼子母神は子供を守る神として、人々に尊崇されています。
守護神とする鬼子母神は鬼形でなく、天衣・瓔絡をつけ、吉祥果を持ち、
幼児を抱いた菩薩形の美しい姿をしておられ、
特に角の(つの)のつかない鬼の字を用いて、『雑司ヶ谷の鬼子母神』と尊称します。
おまつりする鬼子母神のご尊像は永禄4年(1561年・室町時代)1月16日、
雑司ヶ谷の星の井より発掘し、東陽坊(のち大行院と改称、今日では法明寺に合併された)という寺に納められたもので、
現在、文京区目白台所在の清土鬼子母神(お穴の鬼子母神)境内にある三角井戸が
この星の井であると伝えられているそうですが、まだ行ったことはありません。
10月7日(金)はそのお穴の鬼子母神から不忍通り・目白通りを万灯練供養が練り歩くと言うので出かけました。
先ずはお参りをと本殿へ
堂内にはざくろの絵馬がぎっしりと列んでいました。
鬼子母神の像は右手にざくろの枝をもち、ふところに子供を抱いています。
ざくろの実をみると1つの実の中に又たくさんの小さな実があり、
その一つひとつがそれぞれに小さな種を持っています。
このことからざくろは古くから子孫繁栄をあらわす縁起のよい果物として吉祥果ともいわれています。
鬼子母神がこのざくろの枝を手に持つのは子供を守る神として子孫繁栄の願いが込められているのだそうです。
境内には、お稲荷さんの赤い鳥居が列んでいました。
倉稲魂命(うけみたまのみこと)を祀った古社武芳稲荷です。
今は新築遷座されていますが、古来この地が稲荷の森と称されていた頃の幾百年の名残を伝えているそうです。
そろそろ行列が来る頃かと目白通りへ移動。
団扇太鼓の音が響いてきました。
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纏(まとい)はもともと戦国時代の武将のうま印ともいわれてますし、江戸時代では町火消しが持ってますね。
万灯(まんどう)は、講によって少しずつ大きさや形が違っています。
フワフワの薄紙の花も、白だけのところや、五色の花をつけているところもあったりするそうですが、
今回みたのは殆どが白でした。花に包まれた中は少しずつ違うようでした。
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見物の人も興奮しています。私もうきうきしてきました。飲んだビールの所為もありますが・・・。
境内には沢山のお店が出て賑わっていました。新副都心線が出来た効果もあるのでしょうか。
名物のすすきみみずくの店も。
境内に、創業1781年という駄菓子やがありました。懐かしがる父親がさかんに「どれがいい?」と
こどもに訊いていますが、子供の方はあまり関心はないようでした。
足袋屋 と えんどう豆屋(煎り豆と茹で豆)
お酉様を思い出し、茹で豆を購入。コンビニでビールを手に入れて行列を待つ間にいただきました。
ドネルサンドとは?
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検索した結果 ウィキペディア他から
ドネルケバブをトマト、玉ねぎなどの野菜とともにバゲットまたはピタパンに挟んだトルコのファーストフード。 ドネルケバブは垂直の串にスライスした肉を上から刺していって積層し、 水平に回転させながらそれを囲んだ電熱器(以前は炭火が使われていた。 現在でも中東の一部では使用している地域がある)の熱で外側から焼き、焼けた部分から順次肉を削ぎ落としたもの。
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飴細工をしていました。ここでも親が盛んにこどもに「何作って貰う?」とうながしますが、「わかんなーい」
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目白通りにでる道に 「子育てもなか」 のお店がありました。
又目白通りへの角に小さな祠がありましたが、詳しくはわかりません。
鬼子母神前まで歩いて戻り、都電で帰りました。
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