地球の裏側 ペルー へ
マチュピチュ遺跡とペルー9日間
5日目-2
マチュピチュ
念願の マチュピチュ です。
バスを降りて不要な荷物は預け、さあ 出発です。
「この中で足の弱い人は誰ですか」の呼びかけに迷わず挙手。
ガイドさんの直ぐ後ろに付きました。
しかも小さなリュックもショルダーバッグもガイドさんが持ってくれました。
へばって、遅れるよりはと思い、おことばに甘えて手ぶらで、しかも急な坂は息子に手を引かれて.
もくもくと歩くのみです。
「もうすぐですよ」の声に励まされて見張り小屋のある展望台へ。
空中都市 マチュピチュ です。
よくぞ 此処までと 感激 です。
一般的にこの風景をマチュピチュといいますが、
実際は正面の尖った山はワイナピチュ(2720m)と言い、(若い峰)の意味があり、本当のマチュピチュは
この写真を撮っている背後にそびえる山がマチュピチュ(老いた峰の意味)でなんです。
ペルー国旗が立っています。
Andenes と云われる段々畑が至るところに作られています。
遺跡入り口の上の方にインカ道とインカ門がみえます。
人形教室の先生は若い時(今もお若いですが)南米に長くおられました。
その時マチュピチュにも行かれたのですが、列車をインカ道入り口で途中下車し、一人での入山は禁止でしたので
管理人の眼が届かないところからインカ道に進入、2日歩いてマチュピチュへ到着したそうです。すごい!
上のトレッキングコースを行ったのだと思います。
上は展望台から見た周りの山々を撮した動画です。クリックして御覧下さい。
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ここで一旦解散。皆はもっと上まで登っていきましたが、私はここからの眺めを堪能していました。
一段下の見張り小屋に集合です。
下るとき、バスに同乗していた現地の女性が手を貸してくれました。
彼女は助手かと思っていましたが、実は彼女が正規のガイドで、日本人の方は通訳だったようです。
上右が見張り小屋です。
見張り小屋からの眺め。 |
市街地への入り口が眺められました。
ポーズをとる女性がいて一時ストッップ。
門を入ると内側の上には穴のあいた丸い出っ張り、両脇に石棒の挟まったへっこみが有り、
両開きの扉がついていたのではないか、とか、
左右と上の穴にロープを通して石などが落ちる仕掛けを作ったのではともいわれているそうです。
石切場(下右)
崖の下に植物が生えていました。 右はパッションフルーツだそうです。 |
三つ窓神殿 神官の館
本神殿の右側の石が下に傾いていました。
地盤沈下が発生しているとのことで、日本の大学の教授がこの地盤沈下調査を行っているようです。
この石は 南十字星 を表しています。 |
小高い丘が見えています。この上に 日時計(インティワタナ) が有ります。
マチュピチュ遺跡市街区域で一番高い場所に造られています。
突き出た角柱の高さは36cm。
当時は太陽が消えないように、太陽を繋ぎとめるものとして、太陽信仰の重要な礼拝所であったと考えられていて、
角柱の影の組み合わせで春分・秋分、冬至・夏至を判断したと推測されているとのことです。
リャマがのんびり草をはんでました。
ワイナピチュ登山への入り口
入り口の管理小屋
ワイナピチュ登山口近くの 聖なる岩。背後に見える山をかたどってあるそうです。
山の頂きは雲で隠れていました。
貴族又は聖職者の居住区をすぎて、技術者の地区へと進みました。
技術者の居住区に3つの入り口がある家が有り、そのなかに丸い石が2つあります。
マチュピチュの発見者「ハイラム・ビンガム」は見たまんま 石臼 と名付けたそうですが、
実際には何に使われたのか判らないそうです。
コンドルの神殿
下の柵の部分の手前側がコンドルの頭になっており、後ろの岩がコンドルの両翼になっています。
柵に囲まれた部分に生贄をささげて儀式をしたといわれています。
またコンドルの石の奥の部分からミイラがでてきたことからマチュピチュを世界に発表したハイラム・ビンガムは
この場所を牢屋だったと分析しました。
下右は水汲み場の近くだと思うのですが、水汲み場は撮し損ねました。
太陽の神殿 と 王女の宮殿(2階建て)
太陽の神殿の下にある、 陵墓 と呼ばれる石室。 ミイラの安置所だと されています。 |
図の赤い線のように歩きました。
入り口・・・けものみち・・・見張り小屋・・・墓地(私はパス)・・・見張り小屋・・・市街地への入り口・・・石切り場・・・ |
マチュピチュ訪問証明書
また バスに乗りアグアスカリエンテスへ戻り昼食、
高原列車でクスコ近郊のポロイ駅へ、その後専用バスでこの日泊まるクスコのホテルで夕食です。
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