2011・11・16〜18
当初甲府駅前集合でしたが、東京のバスなので、新宿と甲府どちらでもよいことになりましたので新宿へ。
新宿 6時50分集合・7時出発
境川サービスエリアで一休み。
甲府駅前で残りのメンバーと合流。
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【1】 海岸寺
駐車場からは光陽関と書かれた門をくぐって坂道を上がっていきます。
観光のための開放ではないという立札。 坂を上がりきったところには右下のような掲示板。
【豊歉の時代 悠貧にして 有品たるべく】
私なりに調べてみました。
豊歉(ほうけん)と云う言葉は有りませんでした。 歉 は、ものたりない・不満足と云うことなので、
物は豊かなのに、ものたりないとか、不満をもっている時代。
悠貧(ゆうひん)は 悠 が遠いと云う意味なので、貧しさとは遠いのだから有品、品良くしなさい。
「物は豊かなのに、ものたりないとか、不満をもっている時代、貧しさとは遠いのだから不平不満を言わず、品良くしなさい」
こんな解釈は如何でしょうか。
鐘楼ですが、左は下から、右は上から。
庫裡に声を掛けましたがどなたも出て来られませんでした。
廻りは静まりかえっています。
銀杏の葉で黄金色に輝くその奥には急な石段が。
石段を登ると観音堂です。
海岸寺の境内には西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の各札所の
観音像や延命地蔵尊などをうつした百体観音が安置されています。
これらの石仏の製作者は長野県高遠の出身で江戸時代後期の名工であった守屋貞治(もりやさだじ)(1765‐1832)です。
百体観音は貞治の生涯の全作品のうちの約3分の1にあたり彼が50歳をすぎた頃に8年を費やして彫ったと伝えられています
。
貞治の石仏 ( 曽根原駿吉郎著 ・ 講談社 )
守屋貞治の石仏に興味を持ち現代の世に貞治の石仏を広めた
曽根原駿吉郎氏
は、
この旅のコーディネーター
楜沢氏の叔父上
に当たる方だそうです。
下の石佛は貞治の作ではなさそうです。
以前済州島に行った時みた トルハルバン(済州島の守り神・石のおじさん)ににています。
山の中の静かなお寺で、ゆったりとした落ち着いた気分に浸ることが出来ました。
これらの石仏は、このお寺で彫られたものなのでしょうか、別の場所で彫られたのでしょうか。
いづれにしろ、この山の中に一人の人が短期間に運び上げているのには驚きです。
私達グループの他には三脚を立てて静かに写真を撮っている方が一人居ただけでした。
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