2012年 世界遺産アンコール・ワットへ
【7】
3日目 2月28日(火)午後
アンコール・ワット見学
12世紀前半、アンコール王朝のスールヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として建立。
敷地は東西1500メートル、南北1300メートル、幅200メートルの堀で囲まれています。
1992年にアンコール遺跡として世界遺産に登録。
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長く続く西参道を進みます。
正面に見えるのは、第一回廊の西塔門で、中央祠堂など五基の塔の姿を見ることはできません。
お堀が終わり、しばらく進むと、左側に池が見えてきました。
ガイドの誘導で、参道から池の方に降りて行きますが、
私は疲れの事を考え、皆と別れて参道を真っ直ぐ、ゆっくりとマイペースで進むことにしました。
西塔門です
舟を意味しているナーガ(蛇神)の像です。
左右に回廊がのびていましたが、中央部分をちらっと観て、真っ直ぐにすすみました。
ビシュヌ神
西搭門を潜り抜けると、アンコール・ワットの中心部が見えました。
アンコール・ワットは中央搭と4つの塔、つまり5個の塔からなっていますが、正面から見ると、3つしか見えないので
アンコールワットは3つの塔だと思っていました。
この場所からだと正面から少し左から写したので搭は4つ見えます。
緑のテントが張られ、修復作業が行なわれていました。
ここからだと後ろの2つ搭も見えます。
先へは進まず、ここで引返しました。
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ここからは、別行動をした娘が写した分です。
中央塔とそれを取り囲む4つの塔
北側のギャラリー
「ラーマーヤナ」
「ラーマ王行状記」で、古代インドの大長編叙事詩。サンスクリットで書かれており、その長さは48,000行に及びます。
ヒンドゥー教の神話と、古代英雄であるコーサラ国のラーマ王子に関する伝説を纏めたもので、
インド、およびその文化を取り入れてきた東南アジア一円に深く浸透しています。
これは、誘拐されたラマ王子の美しい妃を救おうと、ラーマ王子と猿の軍団がラバナ王の軍隊と戦う様子の壁画だそうです。
沐浴場
十字回廊の柱には、江戸時代の日本人の落書きが残されています。
この柱には漢字らしきものがか書かれています。1番上は 人 と云う字です。
日本人 森本右近大夫一房の落書きです。
森本右近太夫は、寛永9年(1632)に、加藤清正の家臣だった父の菩提を弔うために四体の仏像を奉納したと云います。
ちなみに第一次鎖国令が1633年で、1639年にポルトガルの来航を全面的に禁止する鎖国令が出されました。
森本右近太夫は鎖国令の前に来たことになります。
この落書きは内戦前までは読むことが可能だったそうですが、今では上に黒く塗料が塗られ、文字を読み取ることは出来ません。
日本人観光客には必ず披露されるようです。
南のギャラリーの東側の壁画
インドの伝説より、37の天国と32の地獄の図
地獄は下、天国は上に。地獄は特に細かく描いてあります。
乳海攪拌(にゅうかいかくはん)
第一回廊にあるヒンドゥー教の天地創造神話「乳海攪拌」を描いた50mほどもある壁画です。
この神話は中央にヴィシュヌ神、その下にヴィシュヌ神の化身であるクールマ(大亀)の背に乗せた大マンダラ山が描かれており、
それを両側から神々と悪神がヴァースチ(大蛇)の胴体を綱にして、綱引きしながら海中をかき回す「攪拌」が1000年も続き、海は乳海となり、
そこからアプサラやラクシュミー神(ヴィシュヌ神の妻)が産まれ、最後に不老不死の薬である「アムリタ」が出来たという神話。
中央祠堂とその登り口。
上からの眺め。
アンコール・ワットを背に参道を戻ると、左側は修復済み、反対側はがたがたです。
検索してみました。
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