2012年 山梨県富士川町に残る旧家秋山邸の「今」を観に
2012年4月25日
富士川町
【6】 富士川町 あおやぎ宿 活性館・追分館
富士川町青柳は左へ駿信往還、右へ駿州往還となる追分宿として発展しました。
また釜無川と笛吹川が合流して富士川となる地点で、舟運の起点でもあったのです。
この地に築120年の日本建築の秋山邸がありました。
東京に移り住んだ後は無人になっていました。その後、土蔵の壁に穴を開けられ中の物を盗まれたそうです。
此のまま放っておいてはいけないと、富士川町商工会に委託し、
地元商店街の活性化と地域交流の拠点として、
あおやぎ宿 活性館・追分館
ができました。
追分館はもともと銀行でしたので道路に面しては間口が広くなっています。 現在は壁になっています。
また追分館は、お食事処の「やなぎ亭」とちいさな資料館「蔵」とになっています。
門を入ると、右はお食事処の「やなぎ亭」、先に進むと ちいさな資料館「蔵」になります。
この日はあいにく団体客の予約が入っていて、昼食はあとまわし、見学を先にしました。
此の「小さな資料館 蔵」には
旧秋山家(銀行)に係る古文書・文献
富士川町出身の小説家 熊王徳平氏の作品
元内閣総理大臣 石橋湛山氏を偲ぶ作品
画家 石井精一氏の作品
等が保存展示されています。
蔵の前にはモダンなタイルが敷いてあり、蔵の窓の扉をあけると、蔵座敷から庭園が眺められます。
蔵の入口を入ると、左手に大きくて分厚い扉があります。
扉の向こうは 蔵座敷 今は板の間になっています。
蔵座敷は大切なお客さまの客間として使用されたようです。
大事な商談の時には扉をしめたとか。
二階もありますが、公開していませんでした。
二階への階段に無造作に置かれていた、古い錦葉百人一首。
物々しい高札
「やなぎ亭」で昼食です。
秋山家に伝わる「山岡鉄舟」の書を額装したものです。
食事は 「麦とろ定食」 800円のみです。 素朴な味で美味しくいただきました。
蔵 と 追分館
次は活性館(いきいきかん)
甲斐の年貢米を江戸に送る際の貯蔵蔵だった米蔵を改築し、
特産品の販売のほか、骨董品や生活雑貨などを販売しています。
次は通りを挟んだ はす向かいの
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