2014年  岩手・北三陸の旅

2014年4月23日(水)〜25日(金)



1日目



盛岡駅で渡されたお弁当を、バスの中でいただきました。

この旅行の昼食は、レストランでの食事ではなく、大抵お弁当ですが、旅行社の方が気を遣って、変わった美味しいお弁当です。

今回もこのような洒落た、美味しいお弁当でした。

    

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宮沢賢治記念館

最初に寄ったのは、お馴染み 宮沢賢治の記念館です。

    

門を入って暫く行くと「よだかの星」の彫刻碑が。

よだかの星 のあらすじ が ウィキペセィアにでていましたので借用します。

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よだかは、美しい はちすずめ や かわせみのの兄でありながら、容姿が醜く不格好なゆえに鳥の仲間から嫌われ、

鷹からも「たか」の名前を使うな「市蔵」にせよと改名を強要され、故郷を捨てる。

自分が生きるためにたくさんの虫の命を食べるために奪っていることを嫌悪して、

彼はついに生きることに絶望し、太陽へ向かって飛びながら、焼け死んでもいいからあなたの所へ行かせて下さいと願う。

太陽に、お前は夜の鳥だから星に頼んでごらんと言われて、星々にその願いを叶えてもらおうとするが、相手にされない。

居場所を失い、命をかけて夜空を飛び続けたよだかは、いつしか青白く燃え上がる「よだかの星」となり、今でも夜空で燃える存在となる。

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さらに進み、玄関前には

「二十六夜」に出てくる 
疾翔大力の像



   

「二十六夜」は大正11年・12年頃の執筆と推定される賢治の生前未発表作品です。

この作品は、擬人化された梟の宗教集団にまつわるある三日間の出来事を描いているそうですが、私は読んでいません。


イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界の中にある理想郷を指す言葉で、

岩手県をモチーフとしたとされており、言葉として「岩手」「いはて」をもじったという見解が定説となっていますが、

賢治自身は語源について具体的な説明を残しておらず、異説もあるそうです。

私には、影絵作家・藤城清治の作品 風の又三郎 と、 小学生の頃見た映画 風の又三郎 が印象に強く残っています。


賢治の誕生の年と亡くなった年に大きな災害がありました。

1896年(明治29年)8月27日に誕生。その2か月前である1896年6月15日に発生した三陸地震津波による震災。

1933年(昭和8年)9月21日に急性肺炎で死去した。享年37歳。この年3月3日に「三陸沖地震」が発生し、大きな災害をもたらしました。


館内は撮影禁止ですが、一番奥の外の景色が見える所だけは撮影可能でした。

   

さわやかトイレ と 注文の多い料理店 山猫軒

   

駐車場はさくら満開 (4月23日)



宮沢賢治のこと 知っているようで何も知らないと云う事に気付かされた記念館でした。


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次に向かったのは 
萬鉄五郎記念美術館



      

フォーヴィスム、キュビスムの日本美術史上重要な作品を残し、新しい独自の美術を目指した萬鉄五郎の記念美術館。土沢城跡に建っています。

実を云うと、私は萬鉄五郎を知りませんでした。

パンフレットから彼の写真を拝借しましたが、この展覧会の案内の様な絵をかく人とは思えません。




記念館と萬家の土蔵を復元させたハイビジョン・ミュージアム、ミュージアムショップ

   

   

      



1918年に萬鐵五郎が制作した ↑ 「木の間から見下した町」(岩手県立博物館蔵)や、

やはりこの時期に制作された「木の間よりの風景」(三重県立美術館蔵)はこの場所から見た風景だそうです


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千葉家住宅

江戸時代の南部地方特有の住居と馬屋を平面L字形に連結した農家建築「曲り家」を代表する建物として知られています。

江戸時代後期に、斜面地に築かれた石垣上の平地にある面積540m² の大型の住居で、25名の人と20頭の馬がこの一軒の家で生活していました。

以前は住居として使われていたが、2013年6月より遠野市の管理となり、敷地と建物の一部を公開しています。

付属建物や石垣などを含め、屋敷構えがよく残されており、2007年に建物と宅地が国の重要文化財に指定されました。




急な坂を登らなければならないので、下から眺めただけで、織機等を見ながら皆を待っていました。

   

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バスがすすむと

「此処より下に家を建てるな」

の石碑がみられます。バスのなかからみるだけですので写真には撮れませんでした。

これは明治29年津波を教訓として建てられたものですが、その後も「自分だけは大丈夫」と云うおもいこみで、家を建て住み着いていた人々がいました。

災害は忘れた頃にやってくるとは、本当ですね。


バスから見えるのは、復興作業中の様子ばかり。

   

  

やがて、井上ひさしの 「ひょっこりひょうたん島」 のモデルの一つと言われる 「蓬莱島」 がみえてきた。
ここでいったん停車、下車しました。



東京オリンピックにわいた昭和39年にはじまった「ひょっこりひょうたん島」は人気を博し5年間、放送回数1224回におよぶ当時の長寿番組となりました。

私も子供達と一緒に楽しみにみていたものです。

「ひょっこり ひょうたんじーま ひょっこり ひょうたんじーま・・・」の歌も思い出されます。

ひょうたん島のモデルは、瀬戸内海の広島県尾道市と愛媛県今治市にまたがる瓢箪島、岩手県大槌町沖の蓬莱(ほうらい)島、

グアム島のオンワードホテル前にある無人島のアルパット島などと言われているようですが、ここが、一番ぴったりしているようにおもえます。


   

港にも機材が一杯。一日も早い復興を願うのみです。

   

井上ひさしの小説「吉里吉里人」に登場する架空の国「吉里吉里国」もこの辺りがモデルと云うことです。



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この日の宿 ビジネスイン やまだ です。





夕食は全員 宿の食堂でいただきました。

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