2015年・春の小さな旅 
=高松・丸亀・倉敷・岡山を巡る=

[1] 1日目-1

まずは、東京駅で友人と落ちあい、新幹線のぞみで岡山へ、岡山からマリンライナー”で高松へ。

岡山駅に停まっていた、アンパンマン列車。

アンパンマンの生みの親であるヤナセタカシが育ったのが、高知であったので、アンパンマン列車が四国を走っています。

乗ったのはアンパンマン列車ではありません。

  

マリンライナーはJR西日本とJR四国が

岡山駅〜高松駅間を宇野線・本四備讃線・予讃線(瀬戸大橋線)経由で共同運行する快速列車です。

確実に座れるようにと指定席をとっておきましたが、2階建て車両の1階部分で、窓から見えるのは橋桁ばかり、
立ち上がって、ようやく海が見られました。

グリーンの指定にするか、普通車両にした方が賢明です。

  

  

高松駅にて全員(8名)集合




JR高松駅のシンボルの流政之作品「DAITEMMAI」

「DAITEMMAI」は、讃岐弁で「抱きしめて」という意味で人間が向き合う姿をモチーフに制作されたそうです。


昼食を各自調達して、ドライバー含めて9人乗りの小型のバスに乗り込みました。

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予めリーダーが往復はがきにて予約しておいた イサム・ノグチ庭園美術館 へと出発。車内で昼食。

イサム・ノグチ庭園美術館 



写真撮影禁止なので、上は  http://www.noguchi.org/museum/japan_jp より借用。



    
以上 パンフレットより

   20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチは、モニュメント、庭や公園などの環境設計、家具や照明のインテリアから、
舞台美術までの幅広い活動を行った、きわめてユニークな芸術家です。

ノグチは1956年、パリのユネスコ本部の庭園デザインに使う石を探していた時に初めて四国を訪れました。
その後、1969年に四国・香川県の牟礼町にスタジオを構え、
ここで彼の成熟期の代表作になる花崗岩、玄武岩を使った大型の彫刻作品の制作に励みました。

牟礼町出身の若い石工、和泉正敏に紹介され、ノグチはその後20年に渡って和泉と密接な協力関係を築いて作品制作を共にすることになります。
和泉は彫刻家のためにスタジオを建設し、ノグチは彼の人生最後の20年間は毎年半年を牟礼で過ごしました。

  





この右手奥に住まいが有ります。
若い鶯がしきりに啼いていました。

もっと上にはに庭園がありましたが、足元が危ないので我慢して待機。
屋島が一望されたようです。残念!

入口の待合室です。


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屋島について

屋島は瀬戸内海国立公園にある海抜293メートルの半島形溶岩台地です。
頂上部が平坦で、その形状が屋根に似ている所から屋島と名づけられたといいます。
眼下には壇ノ浦の古戦場が広がっています。

当時の屋島(今の香川県高松市屋島)は、四国とは浅瀬で離れた島だったようです。
江戸時代辺りから埋め立てがはじまったそうで、現在では四国と地続きになっています。



   

上右の写真の中央の円い部分です。


        

   

こちらは駒立岩近くにある「祈り岩」のレプリカ
 

    




牟礼町は高松市の東に隣接、五剣山から花崗岩の庵治石が掘れるので石材業が盛んです。
また彫刻家イサム・ノグチのイサム・ノグチ庭園美術館があることや、平安時代末期の屋島の戦いの舞台となったことでも知られています。

庵治石は、世界で花崗岩のダイヤとよばれている貴重な石だそうです。



距離のある史跡と史跡の間に石あかりを設置して人に歩いてもらおうという「石あかりロード」の石碑が立っていました。

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