2015年・春の小さな旅 
=高松・丸亀・倉敷・岡山を巡る=

[3] 1日目-2

四 国 村ー2 

入口近くにある 浜田の泊屋  若衆宿です



幕末から明治にかけて、幡多地区の各部落では泊屋を建てて若い衆が宿泊する風習がありました。

 幡多地区の泊り屋(やぐら とも言った)は、すべて高床式の独立家屋で、百数十ヵ所も設置されてい ました。

これらの泊屋も明治末期から大正にかけて平屋建の公会堂に建てかえられたり、破壊され たりして、
現在では、この芳奈部落に四つの泊り屋が残っています。

 浜田の泊屋は、桁行二間、梁間二間、木造高床式平屋建入母屋造り桟瓦ぶきで、
栗の自然木を四隅の柱に使った最も風格のある建物です。




 



入口を入り、屋島に隣接する庵治の石切り場から切り出された花崗岩が使われている 流れ坂をを少し上ると かずら橋 です。

これは祖谷渓にあるかずら橋を模したものです。







足元が危ないので、渡るのは断念、迂回しました。  

祖谷渓のかずら橋 を渡ったことを思い出し、写真を引っ張り出しました。

  
四国村のとは違って下は深い谷でした。

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小豆島農村歌舞伎舞台

 















小豆島には、万里の長城のミニ版ともいうべき延長120キロに及ぶ土塁と石垣の猪垣(ししがき)があるそうです。

     











 



   

   

大阪城残石


旧河野家住宅

   


 


香川県では「讃岐三白」といい、砂糖・塩・綿の生産が盛んでした。このような地域に根付いた産業にまつわる建造物が、村内に8棟復原されています。

砂糖しめ小屋

砂糖しめとは、サトウキビの汁をしぼるという意味です。
四国村にある2つの丸いしめ小屋は、香川県内に2棟だけ残っていた大変珍しいものです。
外壁は曲面にあわせた大壁づくりとし、内部中央には三個の石臼(車石)が置かれていました。
それら石臼に取り付けられた腕木をウシが引いてまわし、回転する石臼の間にサトウキビを差し込んで汁をしぼっていたのです。
ウシは1日中間断なくまわり、柱にはウシの腹でこすられて摩滅した跡もみられます

   













まだまだ広いのですが、上迄行かずに、折り返し、四国村を後にしました。

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