2005年 茨城
2005年7月30(土)・31日(日)
岡倉天心の六角堂と、笠間の大注連縄を観に。
6月に青山外苑前の“ワタリウム美術館”に「岡倉天心展」を観に行きました。
“天心の生涯と作品”“天心の世界戦略”“天心をめぐる人々”
そして会場に“新・六角堂”が建築家、磯崎新と六角鬼丈の企画、設計により出来ていました。
堂内には自由に入ることが出来、天心が眺めたで有ろう茨城県五浦海岸の景色の影像が
日の出から刻々と写し出されていました。姉が茨城にいるので、以前六角堂も訪れたことは有りますが、
是非また行ってみたく、車で連れて行ってくれるよう息子に頼んでおきました。
次姉と私と息子夫婦の4人です。茂原から稲毛海岸に住む姉を拾い、
次にJRで稲毛迄行った私を拾ってもらいました。
(1)
北茨城市
北茨城市は、水戸から約70km、東京から約160km、福島県との県境に位置しています。
五浦海岸(いづらかいがん)の大小の入江と美しい松林は「日本の渚100選」に、
海岸の波音は「日本の音風景100選」に選ばれている景勝地です。
またここは明治39年に日本美術院第一部(絵画)が移転し、岡倉天心や横山大観、
菱田春草を始めとする五浦の作家たちが集い、新しい日本画の創造に励んだ
我が国近代美術史上極めて重要な地であります。
まず五浦海岸にある 茨城大学 五浦美術研究所 に向いました。
長屋門の入り口です。
← 受け付けで貰ったパンフレット。 六角堂 「観瀾亭」 「瀾(大波)を観るあづまや」 六角堂は天心の創意の奇抜さを示しながら、強烈な五浦の |
中へは入れませんが、後できいたら、地元に住む上の姉は特別に入れて貰ったそうです。
岡 倉 天 心 (1862〜1913)
急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治時代に、日本の伝統美術の優れた価値を認め、
美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に大きな功績を残しました。
その活動には、近代日本画革新運動や古美術品の保存、東京美術学校の創設、
日本美術院の創立、ボストン美術館中国・日本美術部長就任など、目を見張るものがあります。
横に書くと「ハ一」の字がハーとなって、「亜細亜はひとつなり」と読めませんでした。
天心記念館の中
平櫛田中作 岡倉天心先生像(1931年) と 五浦釣人(1962年)
身につけている奇妙な服は、奈良時代の官僚の服装を参照して天心自身が考案したものだそうです。
平山郁夫作 日本美術院血脈図 (1965年)
竜王丸
残されている舷側と船底板によって復元。長さ4.77m 平底の和船を改造し、ヨットのように
可動式のセンターボードを取り付けて安全性をたもち、帆を張って海上を走った。(パンフレットより)
← ウォーナー像 天心の教えを受けた美術史家 |
この日は靄が一面にかかり、雄大な太平洋は眺められませんでした。
その所為かひやっとした空気が感じられ、一面の苔の緑が見事でした。
左の写真を背景に使いました。
門を出て斜め前に天心のお墓がありますが、この日は気が付かず、素通りし、
姉に言われて翌日改めて寄りました。
すぐ傍には「黄門の井戸」 さすが水戸藩。
六角堂の次に
へ行きました。
年寄りは無料です。
広々とした立派な美術館です。前の道も整備されています。
その日は長姉の家で1泊。体調が思わしくなく折角のご馳走も沢山食べられず残念!
息子のHPのタイトルは“3baba” になっていました。
裏の畑の「カラスウリの花」が夜咲くと言うので写してきました。初めてみました。
後日我が家の傍の芭蕉庵にも咲いているのを発見しました。
三婆で、昔話に花を咲かせ、楽しい一晩を過ごしました。
翌日は笠間へ寄って帰りました。
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