2008年 江戸芸能「たいこもち芸」を観に浅草へ

下記のような ぽけかる倶楽部の企画に 2008年5月26(月) 参加して来ました。

浅草 助六の宿 「貞千代」に12時集合です。

  

 

  

宿の人と「ぽけかる倶楽部」の人が迎えてくれました。

上の様な床の間のある宴会場で「江戸町衆料理」の昼食をいただきました。

変わっているのは、六の甘味 白玉みぞれ和え 
白玉団子と茹でた枝豆を甘く味付けされた大根おろしで和えてあります。

メニューでお解りのように、鬼平犯科帳の○○からと断り書きがついています。

鬼平犯科帳はご存知池波正太郎による時代小説です。

ぽけかる倶楽部のスタッフからぽけかる倶楽部の説明です。
それによるとポケットカルチャーの略称で、
ポケットに入る程度の小さなサイズのちょっぴり知的なカルチャーエンタテイメントの事です。
このカルチャーエンタテイメントをより多くの方が気軽に楽しく体験し、新しい仲間と出会い、
喜び、感動して欲しいという趣旨の下、【ぽけかる倶楽部】は誕生しました。
【ぽけかる倶楽部】は、現地集合・解散型のカルチャーエンタテイメント・イベントを企画実施しています。

 

次に(上右)東京シティガイドの資格を持つ五嶋靖弘氏による、たいこもちの説明がありました。


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 
より

幇間は別名「太鼓持ち(たいこもち)」、「男芸者」などと言い、また敬意を持って「太夫衆」とも呼ばれた。
歴史は古く豊臣秀吉のお伽衆を務めたと言われる曽呂利新左衛門を祖とすると伝えられている。
呼び名の語源は「太閤(秀吉)を持ち上げる」というところから転じて「太閤持ち→太鼓持ち」と呼ばれるように
なったという説や、鳴り物である太鼓を叩いて踊ることからそう呼ばれるようになったとする説などがある。
現在では東京に数名、関西には1名しかおらず絶滅寸前の職業とまで言われ、
後継者の減少から伝承されてきた「お座敷芸」が失伝されつつある。
古典落語では江戸・上方を問わず多くの噺に登場し、その雰囲気をうかがい知ることができる。
台東区浅草にある浅草寺の本坊伝法院には1963年に建立された幇間塚がある。
 幇間の第一人者としては悠玄亭玉介が挙げられる。男性の職業として「らしくない仕事」の代名詞とされた時代もあった。

桂川米七師匠による太鼓持ち芸が始まりました。

下の二枚はクリックすると動画になります。
 

米七師匠が歌った歌(?)

ゴルフの歌    よーい ショット
  船の歌        あー ヨット ヨット
     歯医者の歌    はー どうした どうした
短い短い歌でした。

以下はお土産

絵はがき 六枚

豆札(裏と表)
     

折り紙

最後に宿の店主が出てきてこれまた軽妙なトークを披露。
「助六という寿司を知っていますか?」との問いかけ。誰も答えないので、
手をあげて「海苔巻きとおいなりさん」と答えると、賞品として下の本を。
これは宿の店主「望月友彦氏」の著書です。
彼は宿の経営の他、江戸芸能研鑽会を主催、おおくの若手落語家、幇間などの芸人を応援しているそうです。

貞千代の建物に組み込まれている 観音様? 
  

その後、地下鉄浅草駅まで向かう途中ぶらぶらしました。

浅草らしい道標
 

江戸下町伝統工芸館にも寄り道。
  

淡島堂−針供養 橋本薬師堂−浅草寺の末社(はしもとやくしどう)
 

新奥山辺り
 

 

演歌専門?  右はトイレ
 

台東区の巡回バス「めぐりん」

浅草と云えば御神輿ですね。

このぽけかる倶楽部のイベントは 8,600円でした。

またゆっくり浅草探訪に出かけたくなりました。

     おわり (2008.6.4 作成)

 

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