対馬・壱岐 紀行 (2004年3月)

(4) 2日目  対馬 その2

さらにバスで 小茂田浜・椎根へ

小茂田浜古戦場

古戦場と云っても、小茂田浜神社しか有りませんが、本殿の中を覗くと戦いの絵画が掲げてありました。
 

右の砲弾には、明治三十八年役 戦利品 と記してありました。
 

椎根の石屋根倉庫

 倉庫が並んでいますが、石屋根より瓦葺きの方が多いようです。
 

 

椎根を後は昼食です。そば粉100%のそばと、おにぎりの昼食です。そばがきが有ったので
きな粉と蜜のかかったのを戴きましたが、わさびと醤油の方がよかったみたいです。

 

この近くで採れる若田石で造られた「若田石硯」は有名で、古くは平安時代
紫式部が源氏物語を書いた時ここの「若田石硯」を使ったそうです。

 屋敷の周囲に石垣を回した風景は対馬の名物だそうですが、厳原の町内には特にその石垣を高くして、
防火壁として火災の類焼を防ぐために、火切として築かれたそうです。
現在残っているのは数カ所に過ぎないようですが、団地の回りにも新しい石垣が作られてました。

 

 

かすまき

この門の前に銘菓「かすまき」の渡辺菓子店がありましたので、黒餡と白餡の二本を購入しました。

「かすまき」はカステラで餡を撒いたもので、約350年前当時の藩主が参勤交代で帰国に際し、
その喜びを家中一同でわかつために考案されたものと、言われています。

 

時間が余ったので物産館と資料館へ。
物産館では買う物も無いので外の椅子に腰掛けて待っていました。

資 料 館

資料館の庭に雨森芳洲の碑が建っていました。

江戸時代中期の儒学者であろ「雨森芳洲」は木村順庵のもとで学び、22歳の時対馬藩に仕え、
『誠信外交』つまり「外交の基本は(まごころ)の交わりである」と主張し、日本と朝鮮の善隣外交に尽力しました。

その雨森芳洲の碑の前で民族衣装を着て記念撮影。
  

右は「桟原館の高麗門」(旧桟原城門)
 

その後巌原港へ。
港では転勤する中学校の先生を見送りに大勢の人が集まっていました。
色とりどりのテープを手に名残を惜しむ風景は、よき時代を思い出させました。

 

フェリーで約2時間 壱岐の郷ノ浦港へ。次は壱岐です。

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