対馬・壱岐 紀行 (2004年3月)

(6) 3日目  壱岐観光 その1

朝起きたら雨でした。ホテルの廊下の窓から港を眺めて。

ホテルの裏山の神社(窓から)。猿岩の形をしたものが歩道に並んでいました。
 

ホテルでの朝食。可でもなし、不可でもなし。

岳 ノ 辻

壱岐のしま一番の高い山で、島全体や周囲の海、筑紫の山並みや松浦の島影も見えるそうですが
生憎の雨で視界ゼロでした。

龍王大神(クリックすると説明)や折口信夫の歌碑
「葛の花 踏みしだかれて色あたらしく この山道を行きしひとあり」 が有りました。
 

のろし台の跡

雨降りなので予定変更 雲丹工場 へ

売店で雲丹は買わずに 「鬼凧」 を買いました。
 

鬼凧(おんだこ)の由来
その昔、壱岐の島は鬼が島と呼ばれ、たくさんの鬼たちが人々を苦しめていました。そこで、
命を受けた百合若大臣が鬼退治にやってきます。百合若は鬼共の首を次々にはねていきましたが、
首領の鬼がなかなか手ごわい。やっとはねた首領の首が宙を飛んで百合若大臣の兜にかみつきました。
この鬼凧の絵はその時の様子を描いたものです。(鬼凧に付いていた解説による。)
壱岐の島限定のキティちゃんの頭の上に鬼があるキーホルダーが有りましたが、悪趣味。

雲丹工場を出た頃には雨も小降りになり視界も少しはひろがりだしました。次に黒崎砲台跡へ。

東洋一の黒崎砲台跡

黒崎砲台は大正10年、ワシントン軍縮会議で廃艦を余儀なくされた戦艦「土佐」の主砲で、
秘密のうちにある島に隠されていたのをこの半島に備え付けたもの。
日本海海戦ノ後対馬海峡を航行する戦艦を攻撃する要塞砲として、玄海をすべて
その射程内においたほどだそうです。平常は地下に潜り海上からは見えず、
その破壊力と長い射程距離は東洋一を誇っていたが、第二次世界大戦の頃には、
飛行機の時代になり、一度も発砲されることは無かったそうです。しかも空からは丸見えだったとか。
終戦時、解体されました。

 

入り口を入ると真っ暗な洞窟の先に光が見え、回転砲塔の軸が収まっていた穴が有りました(上から写す)。
 

猿 岩
この砲台跡のすぐ近くに「猿岩」とよばれる大きな岩があります。見る角度によっては巨大な猿に見えます。
 よく晴れた日には,猿岩の向こうに対馬の大きな島影も見えるそうですが生憎この日は見えませんでした。
 壱岐の島はやんちゃな島だったらしく,生まれるとすぐふらふらと泳いで回ったので,
神様に柱でつなぎ留められたそうです。猿岩はその柱のなかの1本だともいわれています。
バスが動いて正面から猿岩をみましたが、何の変哲も無いただの岩でした。

鬼 の 窟
(おにのいわや)

壱岐を代表する古墳の一つです。予定には入っていませんでしたので儲けものでした。

 

 入り口に立つと、写真のように、一辺2mを越えるような巨石が組み立ててあり、
この付近では、このような形の良い大きな石は見かけることはないので、先ず、何処から、
どのような方法で運搬し、また、組み立てたのだろうか判らないそうです。
 種類としては、円墳で、直径45m・高さ13mあり、九州では第二位ということです。

一人づつ狭い石の隙間から中へはいると、奥に石仏が安置されていました。
入り口にスイッチが有って奥に灯りがつきます。
 

次は左京鼻・昼食・はらほげ地蔵です。

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